山名 東赤石山
山域 愛媛・赤石山系
山行日 2012年 5月 26日(土)〜27日(日)
参加者 L-YS、SN、FJY、FJK、KD、YN
天候 晴れ
行程 (26日)
和歌山2:00 = 7:20筏津登山口(走行 360キロ)
登山口7:40 − 8:40瀬場谷分岐 − 9:50二ツ滝 ― 10:45赤石山荘 −
11:20トラバース道分岐 − 11:45赤石越 − 11;55東赤石山
東赤石山12:25 − 14:10瀬場谷分岐 − 15:00筏津登山口
(歩行時間 7時間20分)
新居浜市内に移動しBHに宿泊する
(27日)
新居浜を9時に出て、源平合戦の地「屋島」を見学し16時和歌山帰着
東赤石山(1707m)
瀬戸内海に面してそそり立つ赤石山系の最高峰が東赤石山です。赤茶けた橄欖岩(かんらんがん)が山名の由来とされています。赤石山系は3000m級アルプス並みの景観と豊富な高山植物で人気のある山です。又この時期はアケボノツツジが見頃です。そしてその麓はかって世界一の産銅量を誇った旧別子銅山の地です。
登山は筏津登山口から瀬場谷に沿って登り、赤石山荘を経由して東赤石山に登頂、下山は尾根道を下り筏津登山口に戻るコースとした。
YSリーダーは膝痛のため山行を取りやめ、別子銅山跡の施設である別子マイントピアで待機していただくことになった。このため山行リーダーはYNが努めました。
筏津登山口から樹林帯を登り瀬場谷分岐で最初の休憩をとる。そして流れが二つに分かれた二ツ滝を見下ろす場所で二度目の休憩をとる。この瀬場谷に沿って登るコースは丸太を組んだだけの頼りない橋がいくつもかかっていた。その都度慎重に通過した。
見通しのない樹林帯の登りは2時間半ほど続いた。ジグザグの道を登りつめたところでこれまで閉ざされた視界が一気に開け、八巻山の岩峰が目の前に現れた。そして今回の大きな楽しみであったアケボノツツジが我々を迎えてくれました。
アケボノツツジが咲く灌木帯を進み赤石山荘に着く。山荘の前で八巻山の岩峰を眺めながら長めの休憩をとることにした。尚瀬場谷を登っているとき、この小屋の主に出会った。主によるとこの日は6人の予約が入っているとの事だった。
予定ではこの後、八巻山経由で東赤石山に至ることにしていた。八巻山岩峰の登下降が厳しい事、FJKの体調が万全ではない事からコースを変更することにした。八巻山山腹を行くトラバース道から赤石越に至り、東赤石山を目指すことにした。
東赤石山への標識を見てトラバース道を離れ山頂を目指す。ここからは岩が重なった急登となる。この辺りの岩の表面には、まるで人が描いたような模様が浮き上がっている。不思議な模様はバラや牡丹の花のように見えた。
急登を登りつめたところが赤石越だった。標識には山頂まで10分と出ていた。尾根伝いに岩場を進み、登山口を出発してから4時間15分、東赤石山に到着しました。
灌木が茂り東方面の展望は無いがそれでも気持ちの良い眺めが広がりました。なかでも急峻な八巻山の岩峰は迫力ある眺めです。そして遥か遠くに石鎚山を見ることが出来ました。四国の山は急峻な山が多い。そういう山の重なりは飽きることが眺めでした。山頂は携帯の使える場所だったのでYSリーダーに山頂に着いた事、また山行の様子をメールで知らせた。
気持ちの良い山頂で30分過ごし下山開始する。トラバース道まで戻りさらに東に進み筏津登山口への下山口から尾根道を下る。樹林帯の尾根道を淡々と下り瀬場谷分岐に到着する。この下りが長く感じた。この場所で一息入れた後、筏津登山口まで下る。
その筏津登山口にはYSリーダーが待っていてくれました。
帰り道、別子マイントピアに寄る。ここでは芍薬の花を楽しみ、別子銅山の歴史に触れる時間を過ごす。その後、新居浜市内に向かい新居浜駅近くのBHに投宿する。
翌日、源平合戦の地である「屋島」を訪れた後、和歌山に戻る。
山行計画や宿の手配等をして頂いたYSリーダーが登れず残念な事になった。リーダーには申し訳なかったのですが残りのメンバーは気持ちの良い登山を楽しむことが出来た。アケボノツツジも見ることが出来、ラッキーな山行でした。
以上
東赤石山 四国